遊びにいこう
25/2/2026
人生はつまるところ競争だ、という人が陥りやすい罠は、一本の数直線上で他者と競うことばかり考えていると、パースペクティブの転換、あるいは踏み替えができなくなる、という単純な事実に気付かないことにある。
その結果はどうなるかというと、
「いくら頑張っても成果があがらない」
「もうおれは限界だ」ということになって、精神的に病んでくる。
ひどい場合には縊死したり、高い窓から、発作的に飛び降りたりする人もいます。
現実世界の自己の身体周囲300mには大抵の人間が無意識的に設定した快適ゾーンが存在して、おまけとして、生来パースペクティブも付いてくる。
なんだか昭和のグリコキャラメル(←あの道頓堀のビルの壁面でマラソンをやっている人ですね)みたいなことを言っているが、それにしても、あの「オマケ」は中流国の入り口にいた日本の子供にはおおきな魅力だったのではないかと思うが、デフォルトで付いてくるオマケのパースペクティブなので、あんまりたいしたものではないのが普通です。
これがかつての欧州人であると「キリスト教」という世界の地平が、ちゃんと描き込まれた神がかりのパースペクティブを別個に所有していた。
これは哲学上も欧州語と欧州人に普遍性をもたらすというおおきな「益」をもたらしたが、ごく地べたに近い点でも、例えば、シチリアでは昔からマフィアの親分が撃たれて死ぬのは土曜日が多いが、この理由は歴然としていて、翌日の日曜日の朝になれば、パードレ(padre)に懺悔してしまえば、いきなり現世の罪の意識から解放されてしまうからで、confessioneは偉大なり、俗物ぞろいで宗教まで通俗化した英語世界とは違って、罪をひきずらず、臨終のときを待つことなく、毎日曜日に救済されてしまうので、また次の暗殺に邁進することが出来るシステムになっている。


