性 2
8/5/2026
四谷のバーであることは判っている。
その、やや趣味が古い暗い茶色の木を多用したバーには、何度か来たことがある。
どの訪問も夢のなかで、現実の記憶のなかではなかった。
多分、一度も現実世界では訪れたことがないバーです。
現実には存在したことすらないバーなのかもしれない。
夢のなかでだけ何度も訪れる場所がいくつもあって、日本にも、ある。
現実世界よりも遙かに距離がある日比谷と東京駅のあいだに存在して、二本の幹線高速道路に挟まれた土地で、訪れるたびに「道を間違える」ビル街がある。
間違える、といっても、夢から覚めたときには、どこからどこへ歩いて行こうとしていたのかも判らなくて、よく考えて見ると、本人がどこかからどこかへ向かおうとしていた、という「気持ち」があるだけで、
ほんとうに、どこかへ向かっていた訳ではないようでした。
バーは、四谷の新宿通りと並行した新道通りにあって、食べ物屋さんの名前のほうが馴染みがある人がいれば、この道は台湾料理の「嘉賓」がある道です。
いつかSNSに料理の画像を提供している人がいて、いまでもあるようだが、
子供のときに何度か、面倒を見てくれていた人が連れていってくれた店で、たいてい麹町だった用事が済んだあと、「ガメちゃん、牡蠣蕎麦、食べに行こうか」という声がかかると、大喜びで、ついていった。
牡蠣蕎麦と、たしかセットで中華粥がついていた。
夢のなかでは、その嘉賓の通りを挟んだ反対側の並びの荒木町よりにあって、
ソファの席で、女の人の隣に腰掛けている。
日本人の女の人です。
この人は現実に生きている人間であることが判っていて、そればかりか仕事を通じて何百というメールやメッセージをやりとりすることで、極めて聡明な、明るくて透明な感じのする知性の持ち主で、なによりも世界への認識において、おなじ匂いを共有している。
会ったことはない。
どんな顔で、どんな姿をしているのかも、この人は若い著者としてテレビに出たことがあって、そのときの粒子の粗いGIF画像で、見たことがあるだけです。
まるで世界と和解したことが一度もないかのような、わしに似て、数が少ない同族で、モニさんがいなければ、まっすぐ東京まで、会いに行っていたでしょう。
会いに行けばよかったではないか、という人もいるだろうが、そういうわけにはいかない自分の感情を、自分では、よく判っていた。
その人は黙って、こちらの顔を見つめていたと思ったら、
涙がひとすじ頬を伝っている。
夢は夢でしかなく、時間も空間も不連続で、愚かしいことに、次の瞬間には窓際の席にいて、下を向いて、啜り泣いていた。
ガメは、惚れっぽいからなあ、とモニさんの疑いが晴れたことはない。
モニさんはそういうことが大嫌いな人なので、わしにも当然、同じ感情を期待していて、何事においても思い詰めるようにモニさんだけが世界なのを知っているので、わしが肉体的な「浮気」をするようなことを疑うことはないが、なにしろ大袈裟にいえば噂で街をいっぱいにしていた婚前の行いが行いなので、
信用がなくて、
結婚するまえには、まだ十代だったモニさんがオオマジメに
「ガメ、知らない女の人について行っちゃダメだぞ」とよく述べていた。
ずっと昔の日本語ブログにも書いたことがあるが、マンハッタンで、
交差点の向こう側に立っている女の人が固く手を握りしめている子供を指して、「あの子、ガメに似ているな」とさりげない調子で述べたこともあって、
なかなかで、かなかなで、思い出しても、ひやりとする。
性差別が少ない社会や、コミュニティでは、女の人の性行動は、無限に男に似てくる。
考えてみれば同じ人間なのだから当たり前だが、性差別が厳しい社会では、女と男に、あたかも別の生き物であるかのような尺度が適用されるのは、知っているとおりのことであるでしょう。
これもよく知られていることだとおもうが、英語社会のなかではアメリカは、かなり男尊女卑が激しい社会で、女は有色人とおなじく、はっきりと
「劣っている」と見なされる。
言うか言わないかの差があるだけのことが多くて、心から、というか思考の奥底から、男と女が同じ人間であるなんて当たり前でないの、と素朴に信じている男は、珍獣くらいの確率でしか存在しない。
ニュージーランドなどは、北欧諸国と並んで、性差が小さくて、いまのところ、所得差が目立つくらいで、普段の生活では、
近所の人が集まって和気藹々でランチを食べているときに、
「お茶いれてよ」とでも奥さんに言おうものなら、次からは二度とパーティに呼ばれなくなること請け合いで、ものすごく親切な人がいれば、
「お茶が欲しければ、自分で淹れなさいよ、あなたいくつよ」と言ってもらえて、一座大笑いですむが、さすがに最近は、許容範囲を超えていて、
そういう嘲笑もしてもらえなくなっている。
ただ社会から無視される。
またガメはヘンテコリンな統計を持ち出して、と言われるに決まっていて、言う方が正しいが、ニュージーランドの女の人たちが一生のあいだに性的関係を持つ異性/同性の相手は、平均すると25人だそうで、
平均と実感の避けがたい差を考えれば、実感数字だと、40人かそこいらなのでしょう。
だいたい男の側と同じ数字であることを考えても、性行動も似たパターンだと推測できる。


