ポストリベラル3 敵意の動員
30/7/2026
1990年頃のニュージーランドのスーパーマーケットに行くと、アジアの人は、知的なひとほど、ぶったまげて、目を丸くした。
「のんびり」が度を超していたからです。
南島のランギオラのような農場主たちの必要を賄うための街のスーパーマーケットに行くと、週末は、支払いの段になれば、延々長蛇の列になる。
イギリスも相当のんびりだが、子供の眼にも、ニュージーランドは異次元あかんわで、長い長い長い、長蛇の列、という表現を使ったら、蛇が「おれはそんなに長くないわ」と怒り出しそうなくらい長い列で、これがまた、一向に動かない。
当時はパーソナルチェック、小切手で支払うのが最も一般的で、大半は真っ直ぐチェスト型の冷凍庫、日本の普通の家のバスタブの二倍くらいもあるおおきさのフリーザー行きになるに違いない、山のように買い込んだ食料の金額を書き込んで、チェックアウトの人に渡すと、「現金は必要ですか?」と聞かれる。
言われた客のほうは、ちょっと考えて、「じゃあ、100ドル」などと答えて、現金を渡してもらう。
最近でも実は制度としては残っていて、新しい移民のひとたちは、まさかスーパーマーケットに人間ATM機能が付いているとは思わないので、使わないが、わしなどは、いまでも、ほんの10mも歩けばあるATMまで行くのがめんどくさいので、「すみませんが40ドル現金をください」なんてやっている。後ろで、最近やってきた女同士二人連れの日系人らしい人が、ぶっくらこいています。
「あら。このガイジンさん、オカネを受け取っていったわよ」と述べているのが聞こえた。
ガイジンさん、って、ここではあんたが「ガイジンさん」ですがな、と可笑しかったが、ここで流暢な日本語を披露する気分ではなかったので、振り返って、ニコッと笑うだけですませたりしている。
どうしてこう余計なことを書くのが好きなのか自分でも謎だが、余計なことを述べると、日本で、めっちゃ頭の回転が正確で速い女の人が、
「あら。小切手、いいですねえ。でもわたしは左利きだから不便ね」と感想を述べていたが、直ぐに現実の細部である、そういうことに気がつく頭の良さは端倪すべからざる能力でも、はっはっは、あまい。
金沢の落雁より甘いのであって、ちゃんと「左利き用の小切手帳」があるんですね、これが。
ともかく。
支払額を告げられてからでっかい頭陀袋みたいなバッグをごそごそ探って、小切手帳を見つけると、サインして、渡す。
天気の挨拶から始まって、軽く四方山話をして、小切手を書いて、もう御用はないですか、ご機嫌よう、まで、長い人だと、5分くらいかかる。
そのあいだ延々長蛇の列のひとびとはなにをしているかというと、のおんびり、天井を見たり、床を見たり、傍らのマガジンスタンドから「リスナーズ」みたいな雑誌を手に取って、パラパラと眺めて見たり、中にはお行儀が悪い人もいて、まだ支払いを済ませていないチョコの「マーズバー」の青い包みを開けて、ムシャムシャ食べてしまったりしてます。
我慢しているわけでもなくて、ただ、待っている。
「早くしろよ」などと思わず、何の心的葛藤もないのは、いまでも行列に並ぶとpauseがかかって、sleepモードに自動的に入る、わし本人がよく知っている。
そのころは、初めはUKからニュージーランドに渡る途中で立ち寄って、気に入った、シンガポールに親にせがんで連れていってもらうことが、よくあった。
いま地図を見直すと、クライストチャーチからシンガポールまでは実は日本へ行くのと1000kmしか変わらなくて、8400kmだかで、「毎月行くとこちゃうやん」と思うが、日本ほどではなかったがシンガポールはその頃でも既に未来都市で、、ローテクで2000年代までは煙草の自動販売機もコインを入れて木の棒で引っ張り出す式だったニュージーランドに較べると、PCゲームが出来ないと生きていけず、PCゲームで遊ぶためには最新コンピュータがないと遊べないというわけで、デルコンピュータがやってくる前で、Celeronしか売ってないニュージーランドに住んでいるゲーマーわしガキとしては、シンガポールは必須で、日本でいえば丁度軽井沢から東京に行くようにして、シンガポールに通っていた。
ある日、シンガポールのスコットだかどこだかの屋台で、ビーフンでも食べるべと思って行列していたとき、若い女の人が順番がきて、そこから鞄を開けて財布を探しはじめたら間髪を入れず、行列の後ろに付いていた数人学生グループのひとりが、
「おいっ、初めから財布ぐらい用意しとけよ!みんな、忙しいんだよ!」と怒鳴るので、ぶっくらこいてしまったことがある。
これが、抑圧社会名物「憤怒の若者」と出会った最初でした。
なんという長い前置き。
長い長い前置きが続いて、本題に入ったとおもったら三行で終わってしまったりするところが、かつてのガメ・ブログの醍醐味だったのだと言われている。
ええーと。
わたしもついに責任ある40代ですので、いきなりここで飽きて終わったりしません。
多分。
日本にいたときと、ニュージーランドという旧生活圏の片割れ(←もう一個はUK)に戻ってきた自分の内心を較べると、夜叉とビリケンさんくらいも違いがある。
ちょっと待てよ。
ビリケンさん?
ビリケンさん、のんびりの象徴なんですか。
足の裏を撫でて考え直してみれば。
御利益(ごりやく)があるらしいよ。
まあ、いいや、言葉が勝手に連れてきたビリケンさんを、わし脳の一存で連れ戻すことはない。
フランツ・ファノンも「自動筆記は革命の力」と述べている。
付き合いが長い読者のひとびとだけに判る表現をすれば、日本という国には、住んでいるときには気がつかなかったが、ちょうど「悪魔の住む町」
に足を踏み入れたかのように、むらむらと瞋恚の気持ちが湧く魔術的側面があって、見るもの聞くもの、ちょっと調子が悪い日には矢鱈むかっ腹が立つようなところがあったが、あれは、考えてみると、
社会全体に強くかかっている抑圧の圧力が魂みたいなものを押しつぶそうとして、魂が抵抗するための憤懣であったのだと思う。
その抵抗が潰えると、意識下のわしの内なる最底人は、地底人に滅ぼされて、遠くに勝ち鬨の声を聞きながら、あえなく抑圧プレス機の整形力で、社会の部品にされてしまう。
これから書こうとするアメリカの「ポストリベラル」に登場する思想家や哲学者たち(例:パトリック・デニーン、カーティス・ヤービン)は、伝統的な思想家/哲学者たちに較べて、良い悪い、正しい正しくないは別にして、
明らかに思考の質と深みにおいて劣っている。
いわば思想の三流品だが、それを判っていてなお、初期の焦点となったデューク大学だけでなく、ハーバード大学を中心とするエリート校の学生たちは、安普請の思想に、すがりつくようにして自分の浮力を獲得しようとしている。
一方、IT産業革命の恵みは得られないまま、病気だけアメリカからもらったかっこうの日本では、今朝の日経新聞によれば、財政と外交において、日本を窮地に追い込む、あれだけのバカをぶっこいて(←言葉が悪くてごめん)いるのを目の当たりにしながら、支持率が目立って下がったのは「戦後民主主義社会」の恩恵を受けて育った70代以上だけで、肝腎の29歳以下の若年層に至っては、「7割台」であるとかで、調査結果を伝える日経新聞のXアカウントにぶら下がるリプライを見ると、相も変わらず、
「若い人にバカの割合が高いって事か」
「日本人ってどんどんバカになっていきますね」
と、正に高市早苗を首相として支持しているひとびとと同じ心理機制に根差す攻撃性ばかりが無暗に目立つ発言が並んでいる。
民主社会が今日のような崩壊を見た直截の原因のひとつがSNSように輻輳効果があるばかりで、台湾のオードリー・タンたちが目指すオンライン熟議民主政のようなものからはほど遠い、感情の激発の地雷原のような衆愚装置をプラットフォームにしたことであるのは明らかだが、そのまた一枚深層に伏在する理由は、「社会からの抑圧」であるように見えている。
アメリカ社会では過当な競争と、成功競走のトップランナーたちであるシリコンバレー起業家の数多の過労死に象徴される生身の人間の限界に達しても、まだ「弱音を吐かない」、中国の躺平(タンピン)とは異なって、いわば強がりに終始する社会文化に押しつぶされ掛けている若者たちが、その「強者」の体制を築いたリベラルに対して叛逆の牙を剝いている。
日本では、バラモン・リベラルに対する「憎悪」と呼んでいい激しい敵意が、強まる一方であるのが看てとれて、若い人たちが集まっている某所スレッドで宮台真司さんがキャンパス内で刺された事件について、宮台真司氏を「リベラルの一部で、いい気になって、自分たちを苦しめている体制側のひとり」と見なしている論調に、なんだかボーゼンとした気持ちになったことがある。
ポストリベラルが「憤怒の文化」「敵意動員の思潮」であるのは、ほぼ間違いがないようです。
この怒りの津波を「左」「右」の軸に立って眺めると、見誤る。
どうやら、わしたちが直面している「新思潮」は、思想の深度や正統性を尺度にして考えると上手く見えてこないようです。
しかも新思潮を担っている本人たちも、アメリカでも、日本でも、「なぜ自分はこんなことを考えているのか」よく判っていないらしいところに、共通した、おおきな特徴がある。
山火事を消すのか
炎が荒れ狂うままにして、古いものをすべて焼き尽くすのを待つのか、
そういうことまでをも考えにいれて、見ていくのが良さそうです。



オードリー・タン氏のsubstackを購読しています。記事を理解できているか怪しいのですが、氏の記事が醸し出す"心ある人皆で、熟慮の上、オンライン熟議民主政を構築していきましょう”という善意が読み取れます。「憤怒の文化」「敵意動員の思潮」の対極ですね。ただ、氏の記事につくいいねの数が100を超えることは滅多にありません。関心がないのかしら?(ただ、オードリー・タン氏がチームみらいの安野たかひろ氏の戦略を好例として取り上げていたり、東浩紀氏と対談していたりするのには、あまり賛同できない気持ちがあります...)
幼き頃 ガラス製の灰皿の中で紙に火を着けて燃やしてみた 火が綺麗で紙をどんどん足していったら、途中で音と共に灰皿は割れた
炎になって全てを焼き尽くすか それとも割れてしまうか