日本人のためのポストコロニアル 3 米隷属からの脱出
4/3/2026
Deteriorationという言葉は、いまの世界のためにあるのではないかと思うことがある。
モラルや思考のレベルがだいたい市民革命期くらいまで落ちて、そのうえ、ここまでの歴史とは逆向きに進行している。
直接には相互に影響しあっているとは思えないのに、世界中の人間が同時多発的に痴呆化したかのような様相を呈して、友だち(←UK在住、大学教師)のひとりは「手の付けようがない」とこぼしていたが、実感なのでしょう。
日本など科挙型の選抜がある社会を例外として、だいたい世界中のどこでも、エリート層の反発が原動力で、去年一年、本など読まなかった、という人が多いようでもある。
「すかした野郎は嫌いだ」という。
フェミニストや人権擁護主義のひとびとや、環境保護派が槍玉にあがっている。
次第に暴走してきて、「知的なものは何によらず虫酸が疾る」という所まで来てしまっているようです。
原因のひとつは、インターネットの普及と共に始まった情報共有の拡大、なかんずく「棚に隠してあった情報の露見」で、特にSNSというプラットフォームが普及したことが、あまり良い結果を生まなかった。
いかにも南アフリカ人風の悪趣味と白人至上主義で凝り固まったイーロン・マスクが非難の的になっているが、実際にはジャック・ドーシーのtwitterの頃から、本来、気楽な駄弁りの場として設計されたtwitterで政治意見を述べる人が出るようになって、「簡便に政治や社会の問題に口だしできる」ことが、うけて、ブッシュファイアーのように拡がり始めたころから、作った当人は、
「これはヤバいことになった」と周囲に洩らしていたようで、逃げだしにかかっていた。
いまの「X」のような存在になるのが見えていて、このアラブの王族たちが大株主として名を連ねていた厄介な器を作ってしまったことを後悔していたようです。
このジャック・ドーシーの本音は、プログラマーはプログラムによって自分の考えていることを表明するもので、Bluetoothでだけ他人とつながることができるアプリを開発して発表したことでわかる。
この人の、言葉ではない、小さな異議なのでしょう。
もっかの世界は、ほぼ終末前夜のありさまで、プーチンは実質制裁解除によって奔流のように入り始めた臨時収入を軍資金として蓄えて最終的なウクライナ制圧を準備していて、イラン戦争で「石器時代に戻してやる」と述べたトランプの頭には明らかにイスラエルを使った核兵器使用がちらついているのが見てとれて、習近平は、ウクライナですでに予見されて、中東危機では世界中の人間が100%理解するようになった「トランプとの同盟は無意味」という現実の意味を世界地図のなかの台湾と日本を見つめて噛みしめている。
中国語圏のウォッチャーたちは、戦争どころではない経済の不振と粛軍の嵐の吹き荒れようから、いったんは否定された、例のアメリカ側の観測、
「2027年が危ない」が、今度は中国側から蒸し返されている。
米中会談における習近平のトランプへの観察次第では、実際に武力侵攻に乗り出すのではないかと考えられている。
最も敏感に、イラン戦争による物理的な米軍の兵器・弾薬・艦船・兵員の払底と、それによる戦力の空白化、数字を挙げるにもバカバカしいような武力均衡の崩壊を感じて、もう中国に降参することにして、なるべく良い条件を手に入れて、せめて往時の香港なみの自由を保持する方針に転換したほうが賢明なのではないか、という声が高まっている。
ドルは通貨価値が、気持ちがいいくらいの速度で低下していて、日本円JPYは、それよりもさらに速いスピードで下がっている。
世界の経済大国の一角である日本は財政危機の崖っぷちに立っていて、ひさかたぶりの中央銀行総裁らしい総裁である聡明な植田総裁の微調整路線では追いつかない振れ幅でグラグラ揺れて、世界中、「まさか、あんなバカな政策を日本人が実行させるわけはない」と信じている「積極財政政策」を高市首相が実行してしまえば、ほとんど、その瞬間に日本財政は瓦解する。
そして、問題の真打ち、では、ふざけすぎだが、特に日本のような国にとっての最大の問題は、姿が表面化してはいないが、食糧問題で、
このまま行くと、円安、エネルギー不足、肥料の枯渇、ロジスティックの破綻で、貧困層は、まったく食糧に手が届かなくなる、という高い可能性がある。
食用油が値上がりしたので唐揚げが食べられなくなると嘆いていた数年前をなつかしみながら(なんだか書いていても冗談じみていて申し訳ないが)お粥をすする毎日が、意外なくらい近づいているようです。
くだらないことをいえば、これも、日本もまた「向きを180度変えて、逆向きに進み出した歴史の進行」のなかにあって、ネトウヨのひとびとが夢見た「戦前の大日本帝国の生活」に戻ってしまいつつあるのだ、と、言って、言えないことはない。
日本語人は、インドのひとびとに似て、元から途方もなく悲観的なので、あんまりSNSを見ても変化が感じられないが、どう言えばいいのだろう、
「現実がSNSに近づいてきた」と言えばいいのだろうか。
良いこともある。


