ポストコロニアル4 田中角栄
17/11/2025
十分に自覚的にポストコロニアル政治家であったリークアンユーと異なって田中角栄をポストコロニアル政治家と呼ぶことは出来ない。
ただ戦後日本のなかで田中角栄が果たした役割を考えることは、日本が戦後一貫して、日本人をいわば骨抜きにして、自分たち自身の社会の問題を「他人事」として観ることしか出来なくさせてきたアメリカの「日本型占領支配」(←例えばジョージ・ブッシュなどは、はっきりと「してやったり」という文脈でこの言葉を使っている)に対して、日本の人々に「なにが出来るか」ということを考えるヒントにはなる。
日本にリークアンユーのような実務型のポストコロニアル政治家が現れた場合、おこなうはずの政治行動と「結果として」重なる点があるからで、なにしろ後藤田正晴のような知的能力に秀でた保守官僚がいたのだから、田中角栄自身、もし志して十分に自覚的に振る舞えば、あるいは、「日本人の主体性を回復する」ことが出来たかもしれません。
田中角栄が志した「ポストコロニアル的な」政治行動のうち、最大のものは、アメリカ合衆国というアメリカ帝国主義の中心に対する、「日本という周縁の主体性の回復」でした。
この主体性(agency)の回復を、田中角栄は、サイードのような日本というアジアの国の側から物語るナラティブの再構成や、ファノンの「人間性の回復」という内面化された植民地主義/帝国主義の破壊と再生という知的方法によらず、経済の力を背景とした外交・経済の裁量空間の拡幅、及び、田中角栄の意図を悟ったアメリカが対抗手段に乗り出すと、対米一極から中国・ソ連・中東へと外交対象を多角化しようとする。
文化論・存在論になど興味がなかった田中角栄は、国家にも人と同様の欲望があることに眼をつけて、知の力による世界の再構成の代わりに、日本の経済力、平たく言ってしまえば「オカネのちから」でアメリカの占領支配から脱却するポストオキュペイショナルを目指す。
これに対する手痛いアメリカ側からのしっぺ返しが、アメリカが背後に立っていたとしかおもわれない東南アジア諸国の激しい「反田中運動」であり、ロッキード事件であり、さまざまな「金権」にまつわる収賄事件逮捕であったでしょう。
田中角栄にとって不幸なことは、日本国内に、もともと実質的にCIAの「大物エージェント」だった岸信介を源流として、安倍晋三を経て、高市早苗に至る「アメリカの手勢」「アメリカンコロニアル」が強烈な政治ライバルとして存在していたことで、結局は、この勢力に敗れて、アルコール中毒の敗残者として失意のうちに亡くなります。
アメリカの代官のような政治勢力に対して、資金面で圧倒的に劣勢で、オカネをかき集めるために、どれだけ無理をしなければならなかったかは、想像に難くない。
ここで戦後政治家田中角栄の姿を見えやすくする視座として、アルゼンチンの経済学者ラウル・プレビッシュたちの従属理論(Dependency theory)の観点に立ってみます。
従属理論の世界観は、こういうものです。


