戦争へ向かう日本(8月15日終戦記念日)
15/8/2026
記憶から歴史へ、と言う。
日本にとっての太平洋戦争が、いまちょうどそういう時期で、見ていて、
多分、「悲惨な戦争の記憶」を盾に、再び戦争に巻き込まれることを防ぐのは、もう無理な注文になってしまっている。
いったん記憶が歴史に質的変化を遂げてしまうと、冗談ではなくて、
太平洋戦争も日露戦争も、もっと言ってしまえば関ヶ原の戦いでも、刻まれた体験の「質」としては似たようなものなので、後からやってくる人間にとっては、「なるほど、そういうことがあったんだな」という程度にしか思わないもののようです。
ほぼ2000年以上に渉って、回数でいえば、局地戦も加えると、数万回という、軍国主義日本も真っ青の回数に及ぶ「戦争民族」、…といってもドイツ人たちが「戦争好き」というのは、既に古代ローマに始まって、アメリカ・イギリスに至る、敵方のプロパガンダで、特に好き好んで「戦争ばっか」の歴史を歩んできたわけではないと思うが… のゲルマン人たちは、そういう機微に通じているので、取り分け物理的にも思想的にも破壊力が大きかったナチが起こした欧州戦争の後では、民族の記憶に頼らず戦争への抵抗と忌避を制度化する、という叡知を見せたが、振り返ってみると、これもほぼ虚しい努力で、プーチンの態度の悪さと、それに対するロシア人の支持の高さから考えて、ロシアの大時代な拡大主義は止まらず、それに反抗する形で、ドイツは再び強烈な軍国主義に矛先を変えるだろうと近隣諸国に思われている。
ドイツが対ロシア積極策に踏み切らない「煮えきらなさ」が問題になっているが、ドイツ人の最後の抵抗が表面に現れているときは、いつもああで、
他国人にはよくは見えない「一線」を越えたところで、持ち前の頭のよさと効率主義、現実をまざまざと思い描くことが出来る民族的な想像力によって未来の現実事態に予め対処できてしまうドイツ人たちの特殊能力で、えええええっ、な変貌を見せるのを常とする。
ほら、
大人(たいじん)は虎変す
君子は豹変す
小人(しょうじん)は面を革(あらた)むのみ
ちゅうでしょう?
あれですよ、あれ。
君子豹変どころではなくて、大戦争の真打ちたるゲルマン民族が変化するときは、それまでのロジックなんて跡形もなく吹っ飛んでしまうような、信じられない変わり方をすることを歴史は教えている。
ついでにいうと、スウェーデン、デンマーク、あたりも同族です。
考えることが論理完全主義で、なかなか怖い。


