政治の死、経済の死、文化の死 第一回
9/7/2026
「天人五衰」を書いた三島由紀夫が、元来の「大般涅槃経」を使わずに、わざと偽経である「摩訶摩耶経」を使ったことには、もちろん、理由がありました。
いうまでもない、経済的繁栄に浮かれて、どんどん(三島の目には)軽佻浮薄になってゆく日本人には、文化的未来などない、と考えていたからでしょう。
文学と政治を接続する方法としてダヌンツィオに倣うことにした三島由紀夫は、ダヌンツィオがフィウメ占領で確立した制服、儀式、紋章、行進、バルコニー演説などを組み合わせた「政治の典礼」を1970年の市ヶ谷で再現しようとします。
結果は、後年の「大声で豪快に笑う作家」は意識して作られたポーズで、もともと声が小さな繊細な青年だった三島の地声が災いして、そもそも声が通らずに「なにを言っているか判らない」という惨めな失敗で、当時防衛庁長官だった中曽根康弘のような俗のなかでも俗な政治家ずれに
「高名な作家が法秩序を乱して幻想にとりつかれたように人を殺傷したり,自衛隊に強要するのは迷惑千万」」であると優等生論評されるほどの悲惨な結果で、もっとも言わば観客の喝采を期待しないで舞台にあがった俳優としてダヌンツィオを再演した三島は9割方予測していた結果だったでしょうが、哀れな道化として、市ヶ谷総監室の生首となって転がる結果になった。


