AIによる世界認識の拡張について 1
21/5/2026
ギョーム・アポリネールは、1917年の戯曲「テレジアの乳房」序文で
「人間が歩行をまねようとしたとき、脚に似ていない「車輪」を作った。こうして人間は、知らずにシュルレアリスムを行ったのだ」
(Quand l’homme voulut imiter la marche, il inventa la roue qui ne ressemble pas à une jambe. Ainsi l’homme faisait sans le savoir du surréalisme.)
と述べている。
AIによる人間の意識の拡張は、これに似ているかな?
そのうちに量子コンピュータの普及とともに、現在の枚挙から、より効率が高い方法に変化していくでしょうが、いまのところは、人間に比べれば圧倒的な枚挙能力によって、AIは人間の認識能力を拡幅して、曖昧さを整形し、網羅的な細部を拡充していっているけど、今度は、わし友などは「話がやたら長い退屈な友だちみたいだ」と述べて、うんざりしているようで、「読まされるほうはたまったもんじゃない。乾燥剤のシリカゲルを山盛りにして『無害だから完食しろ』と言われているようなもんだぜ」と嘆いていたが、例えば文学賞の選考で、良否を判断するもなにも、量がものすごすぎて、人間の情報処理能力を超えてしまっているので、文学賞募集自体をやめてしまったり、なんとか続けていくためには、どういうシステムにすればよいか改変を急いだり、というふうです。
ウェブ上では、Graphite.ioの最新調査(2026)によればインターネット上に公開される記事の、だいたい半分がAIによって書かれたテキストだそうで、画像に至っては、見たとおり、というか、「なにを見せられているか判ったもんじゃない」状態に陥っている。
落ち着いて考えて見ると、AIを考えるときの出発点の、まず、初歩の初歩は
「主体がどこにあるか」で、また文学の例えを出すと、プロットや登場人物などの設定をプロンプトで与えてAIに小説を書かかせるのは、「AIが小説という形態で言語処理を行っている」だけなので、自分が書いているわけではなくて、作業全体が意味をなしていない、ナンセンスでしかない。


