【Archive】東京の思い出
8/7/2026
20代の終わりくらいまでは旅行ばかりしていた。
特に後半は、好きな町ができると、そこに数ヶ月いるということを繰り返した。
東京は、そのうちのひとつで、子供のときに住んでいたことがあって土地鑑があったし、「だからガメは日本語ができるんだ」と言われるのがなんとなく嫌で、そうでなくて、おとなになってから、ちゃんと勉強したんだよ、という気持があって、なかなか認めなかったが、この頃はそういうこだわりもどうでもよくなって、あっさり頷いてもよいが、子供のときというのは、バカであるぶんだけ、苦もなく知らない言語をおぼえてしまうもので、読んだり書いたりは出来なかったが、聴いたり話したりは、もう出来るようになっていたから、普通の英語人が苦労する、「バスク語よりひどい」と言ってみたりする、言葉の垣根が低かった。
いまに至るまで、たいへんな人見知りで、知らない人とは軽口も利けるが、知っている人となると、なかなか会いたがらない。
ところが日本では、そんなことはなくて、まるで異なる人で、世界が広くなって、気ぶっせいなことがなにもなくなる。
「東京」というときには、日本の人は呆れてしまうだろうが、鎌倉も葉山も入っていて、だから青山も一色海岸も、渾然としていて、頭のなかではひとつになっている。
土地と人間には相性があって、例えば普通に考えて、シンガポールや台湾のほうが日本より住みやすい、良い国であるとおもうが、なぜか日本が好きで、あのゴミゴミして、安っぽいつくりの建物が並んだ町も気にならなくて、数寄屋橋を、泰明庵のカレー丼めざして歩いていったりするのが好きだった。
日本も、目を凝らせば、ヨーロッパコンプレックスのようなところはたくさんあるが、例えばニューヨークのように深刻なものではない。
どちらかといえば子供が新しいものに出会って、年中、そのマネをしているようなもので、模倣の仕方が子供っぽいというと嫌がられるだろうが、なんだか笑ってしまうていのもので、あれを真剣に嫌う人もいるのは知っているが、そのくらいのことに眼を剝いて怒るほうがどうかしている。
でも、あらためて何が好きだったんだろう?
と考えると、よく判らないので、この記事を書いている。
食べ物は誰でも認めるように、もちろん、おいしい町で、英語ではCheap Eatsと言ったりする、安い食べ物が特においしい。
六文や箱根蕎麦という「立ち食い蕎麦」が好きで、モニに「あんなものが、なんで好きなんだ?他においしいものがいっぱいあったではないか」といまでもよく言われるが、考えてみると、あれは味そのものではなくて、 店の佇まいから券売機がある注文の仕方から、すべてが一体になって好きだったのだとおもう。
経済飯、という。
中華圏の、たとえばニョニャなマレーシアなどにはどこにでもあって、たいてい屋台で、道路工事現場のひとたちが群がって、立ったまま食べていたりする。
日本の「丼めし」の起源はあれではないかとおもうが、日本では、案の定、別途に進化を遂げて、ショートグレインの米飯の上に、ぶっかけ飯のようにして食べていたものが、上品になって、これは比較的最近のことらしいが、重箱にいれるようになったりして、いまに至っている。
考えてみれば、立ってかきこむのでなければ、別皿のほうがよくて、現にベトナム料理店などは、日本ならカツ丼になるはずのものが別々に出てきます。
ところが日本では経済飯の構成はそのままで、いわば構造的な変化はなしで、洗練が繰り返されてゆく。
考えてみると、一杯の、あの丼に、日本の、おおげさにいえば文明のありかたが盛られているのかも知れません。
夜になれば、酒場へ行く。
英語人の友達たちに会える会員制のバーに行くことが多かったが、ちゃんとマジメに探索して、居酒屋に行くことも多かった。
数寄屋橋や三原橋の割烹にいくこともあったが、なかでも好きだったのは、「山形」や「長崎」、郷土の名前がついた居酒屋で、始めは入るのが怖かったが、馴れると、酒を飲むのに、こんなに楽しい場所はなかった。
ちいさなことです。
なにしろ、こちらは身体がでっかいので、なるべく小さくなって座っていることにしていたが、長いベンチのようになった壁際の席では、どうしても隣の人の丁寧にたたまれたコートが邪魔になる。
ところが、ところーが。
そういう居酒屋になると、なにも言わなくても、すっとコートが引き取られて、空間があく。
初めのころは、びっくりして眼をまるくしていたが、そうすると、こちらの顔をみて、ニコッと笑う。
あまつさえ、メニューをみて、注文の声を張り上げかねて、もじもじしていると、隣の席の女の人が、でっかい声で、「XXちゃん、こちらのガイジンさんが注文待ってるわよ!」と言ってくれる。
そういうところで、「ガイジン」は差別語だと感じて怒る外国人もいるが、アホウであるとおもう。
そういう無暗なポリティカル・コレクトネスを軽薄という。
大好きだった曾祖母は、ときどき「真夏のニガーのようによく働く」という昔の英語の定番表現を使った。
みな笑ったが、べつに嫌な気持ちを持つことはなかった。
曾祖母には曾祖母が生きた時代と、その時代の英語というものがあって、いわば限界があるのを皆が、あたりまえだが、知っていたからです。
外国人との接点が少なければガイジンが差別語だと知らないのは普通のことで、少しも嫌であるはずがない。
閑話休題。
そうして「立山」と「ひろうす」で酔っ払って、いい気持になって外にでると、文学史のなかに出てくる名前の割烹屋をめざしたりした。
日本は冬が滅法いい国で、友達に「ガメ、日本に行こうとおもうが、どの季節がいちばんいい?」と訊かれたりすると言下に「1月か2月」と応える。
江ノ島の低い空や、金沢の雪、軽井沢の凍った森。
日本の、異世界とおもえるほど美しい記憶は、ほとんどが冬であるからで、友達はびっくりしてしまうが、実際に冬に出かけると、みなが日本の冬の素晴らしさを称賛する。
特に南半球人は、クイーンズタウンの人でもなければ、雪をみなれないので、雪におおわれた鎌倉を見たりするとノックアウトで、完全に参って、友達のメルボルン人などは、そのまま日本に住み着いてしまった。
東京もおなじで、東京の西原で生まれて育った義理叔父は自分の一生で目撃した最も美しい光景は「日本橋の三越の前で見た、雪の通りで電線とパンタグラフのあいだで青い火花を散らしながら走るトローリーバス」だというが、トローリーバスを見たことがなくても、想像はつく。
最後の日本での滞在はモニとの新婚生活のときで、あんまり書くと意図を誤解されてしまうが家宰さんをはじめ、ふたりとも、たくさんの人が家事をとりしきる暮らしのなかでおおきくなったので、「自分でなんでもやっていい生活」というものが楽しくて仕方がなかった。
ふたりで、スーパーマーケットに買い物に行く。
ただのハムが「骨付きハム」という名前で100グラム1200円というベラボーな値段で売られているのを見て、大笑いする。
チーズの売り場で、試食するのに、ほんのちょっぴり小匙の半分くらい差し出されるのをみて、もっとないと味がわかりません、と憤慨して身振りで述べるモニを横でみていて、横隔膜を痙攣させそうになる。
今度は逆に、銀座の「デパ地下」で、大盤振る舞いの「試食」のパレードに眼をまるくする。
買って来た食材を、ふたりで並んでキッチンで料理する。
通いの、フランス語も英語も信じられないくらい達者なので、こっそり「スーパーウーマン」と呼んでいた、お手伝いさんはいたが、たいてい夜更け、ふたりだけのキッチンで、冷蔵庫をあけて、品定めをしてつくる料理は、小津安二郎の「お茶漬けの味」みたいで、途方もなく楽しかった。
日本は1年の大半が熱帯のように暑いうえに、こちらはクリスマスは昔からクライストチャーチで過ごすことになっていて、一家の集合のときなので、日本の最も良い季節である冬を、泣く泣くあとにしなければならなかった。
それでも、楽しかったなあ。
新幹線を降りて、エスカレーターをあがっていくと、軽井沢の駅には改札口の正面に気温計の電光表示板があるが、30℃を越えていて、やれやれ軽井沢でもこれか、とタメイキをつきながら改札を通る。
左に折れて、階段をおりて、そこから右に曲がって、水抜きや庭の手入れをお願いしてある地元の人が運転して矢ヶ崎の駐車場に置いていってくれたクルマに乗って、そこから2分ほどの夏の家につく。
ずいぶんヘンテコに聞こえるとおもうが、軽井沢までも含めての「東京の暮らし」が、あんまりアジアの国に馴染みを感じないらしいモニでさえ好きなもののようでした。
オークランドの芝生が夏の光に輝いている裏庭で、ガゼボのなかでランチを食べながら、突然、モニが「ガメ、日本は楽しい国だったな」という。
びっくりしてモニを見つめると、「ガメとわたしの出発点」と述べて、ニッと笑っている。
そうか、そうだよな、出発点だったんだな、とあらためておもう。
日本は日本の人が信じこんでいるのとは異なって、全体主義の国だとおもうが、
不思議なことに、そういうことが頭にのぼるのは、日本語で考えているときだけで、英語で考えているときには、日本は、ただひたすら「楽しい国」です。
暗い灰白色の層雲がいちめんに広がっている富山の郊外の町を、モニとふたりで歩いている。
「燃えるような」と、どうしても形容したくなる、エメラルドのように輝かしい緑色の眼で、モニが日本海の鈍色の海を眺めている。
水平線のむこうで、雲が突然切れて、夕陽が姿をあらわすと、水平線そのものが、あっというまにオレンジに染まっていく。
モニのこの世のものでない美しい眼に、みるみるうちに涙がたまっていくが、その感情は、この広大な世界で、モニとぼくだけが共有しているものなのだと知っている。
あの夕日が沈む海に、また帰っていくことがあるだろうか。


ことしの日本旅行を思い出してしまった。住んでないから分かる良さ、というのがあって、ちょっと胸がいっぱい。
台風が来る、ということと、梅雨明け後は40℃超えが続く予報で、今日は4時半には起き出し、朝食をしっかり食べて、只今6時。快晴。これから投資先の畑に課金に行くので、簡単に。
気ぶっせい、ってなんだろう?と検索。
関東地方の方言、と出た。私は何で知らないのだろうと思ってよく読むと、東京や茨城、或いは静岡や山梨辺り。
ものの見事に埼玉と群馬が抜けていた。私の故郷の秩父辺りは群馬の方言が入り込んでいた。山梨とは関わりがちょっと薄い。明治期の養蚕繋がり、はたまた、幕末の人流の濃淡か?民衆の意識のあり方が江戸•東京ばかりではなかった、のかな?と朝から面白がれた。
夏目漱石の小説にも出て来るらしいから、一度はお目にかかっても、日常使いでない言葉ですっかり忘れてしまったのかも知れない。
東京の思い出が最後は富山で終わったのが面白かった。富山湾に浮かぶ逆さ立山連峰を雨降海岸だったかな?から眺めたのを思い出した。埼玉から青春18きっぷで鈍行列車を乗り継ぎ、途中高岡で一泊しないと辿り着けなかった😂