【Archive】さよなら、民主主義
18/7/2014
国民の戦意を調査した「特高月報」の1944年10月の記事に、
「戦争はいやだ。日本は必ず負ける。日本は勝手な国いやな国、日本全員米英の政治下領土になれ」という東京本所区の公衆便所に落書きが記録されていると半藤一利がしるしている。
あるいは多くの東京人が、戦争に負けた日の夜、灯りの覆いをとって、窓の目隠しも取り払って、ひさしぶりに明るい夜をすごした日の気持を、たとえば「ざまあみやがれ、これで戦争は終わりだってんだ」と述べている。
ちょうど反戦の主張をもった文学者たちや、地下の共産主義者たちですら、真珠湾奇襲を聞いて「なんともいえないスカッとした気持になった」と述べているのと対をなして、戦争に負けた夏の日の夜、戦争に負けたくやしさよりも、「これでもう抑圧された生活を送らなくもいいんだ」と、頭の上からおもしがとれた気分になった人が殆どであったように見える。
同じ「特高月報」に「戦争に負けたら敵が上陸して来て日本人を皆殺しにすると宣伝して居るが、それは戦争を続ける為に軍部や財閥が国民を騙して言うことで、自分は米英が其の様な残虐なことをするとは信ぜられん」と工場の壁に書かれていたと報告があるので、いま常識とされている、「男はみな性器を切り取られ女はみな強姦されると国民は皆信じていた」
という「証言」がどの程度ほんとうだったか。
実際にやってきたものは、なんだかきょとんとしてしまうようなことで、アメリカ軍が「強制」したのは去勢でも兵隊の妾になることでもなくて「民主主義」というものだった。
実際、「強制」という言葉どおりだったことは、例えば「忠臣蔵」を含む歌舞伎の演目は大半が「非民主的」という理由で上演禁止になったことでも判る。
当時の、「民主主義は天皇陛下よりも偉いのか?」
「民主主義で女も人間のうちに数へられるやうになりますか?」
というような問答を見ると、アメリカ軍が日本人に強制した「民主主義」というものが、どういう驚きと輝きで迎えられたのかわかるような気がする。
それは当時の日本人一般にとっては、なんだかよくわからないがありがたい菩薩観音のようなものだったのではなかろうか。
西欧人が日本にやってくると、日本では民主主義が奇妙なほど理想化されていることに驚く。
簡単に言うと「民主主義はフラストレーションの固まりだ」という基本的なイメージがないように見える。
ものすごくストレスのたまるシステムで、すっきりしない制度だという基本的なイメージがないように見えることがある。
TPPのときだったか「よく話しあって全員が納得するまで議論することが民主主義というものだ」という人がたくさんいて、びっくりしたことがある。
なぜなら制度としての民主主義は「全員が納得する」ことなどあるわけはないから生まれたシステムで、不可能なことを実現できると仮定すれば民主主義そのものの破壊を結果するのは当たり前のことだからです。
暴力を意識しない民主主義は機能しない。
国家という絶対暴力があって、そこに市民の側からの暴力が生まれて拮抗しだしたところに「民主主義」の萌芽が生まれた。


