【Archive】光へ向かって旅をする計画について
415/11/2014
死ぬのはイタリアがいいな、と時々おもう。
あの息もつけないほど圧倒的な美しさの夏のトスカナの田舎で、陽光が氾濫する庭で、ただ眩(まぶ)しさに瞑目するひとのように死ねたら、どんなに良いだろう。
へんなことを考える人だな、と言われそうだが、自分が死ぬ姿をあれこれ想像して、途方もなく悲しい寂しい気持ちになるのを楽しむのは5歳くらいのときからの習慣的な遊びなので、しかもこれは甘美な遊びで、30歳になったいまでは熟練しているといってもいいくらい真に迫って仮想的に死んでみるのも可なり。
マンハッタンは老人向きの町だが、マンハッタンは嫌だな、と思う。
あんなところで死んだら、道路を横断しそこなってクルマに轢かれたボロボロの猫の死体になったような気がするだろう。
ロンドンで死ぬのは索漠として退屈な感じがする。
パリならば高級娼婦のアパートで死ぬというのは、なかなか良い気がするが、死んでからモニさんに嫌われてしまうから採用できない案である。
ニュージーランドの大自然のなかで死ぬのも気分はいいと思うが、なんだか文明人の死に方として健康的すぎて、死んでから憮然とした気持ちになりそうな点で問題がある。
だから、やはりイタリアなのである。
官能と聖性がいりまじった、あの気が遠くなるほど美しい自然のなかで死にたい。
トスカナでもベネトでもよいが、シチリアなら完璧なのではなかろうか。
このブログには、膨大な、と自分で言いたくなるほどのイタリア旅行の記事が内蔵されている。
最後に一ヶ月半旅行しただけのイタリア旅行のあいだに書いたものに限っても、我ながらたいへんな量です。
「Sienaの禿げ頭」
「移動性高気圧2」
「InVacanza2」
「Sarteano」
「Vernazzanoの斜塔」
「ノーマッド日記13」
「Arezzoの骨董市」
「ノーマッド日記14」
「カルボナーラの謎」
「スパゲッティ・ナポリタンの秘密」
「豊かさは、どこへ行ったか?(その2)」
「Back to Como」
「Parter noster」
「手作りの宇宙」
「豊かさ、はどこへ行ったか?(その1)」
「il-pranzo」
「mantova」
「ferrara」
「チェルノビオ」
「イタリア・ノート_1」
「「分解された光」のような幸福について」
「ピエモンテの畦道」
「麦わら帽子の思考」
「闇に目をこらす」
ひゃー、もうこの辺でやめとこ。
イタリアという土地柄には自然にも町にも人間にも、駐車場で日向ぼっこしている犬にさえ名状しがたい品の良さがあって、イギリスのような抜け目のない土地柄とは文明のていどにおいて雲泥の違いがある。
しかも文明の高さは細部にまで及んでいて、きみが夜の田舎の、人口が500というような小さな村の、12世紀くらいからあんまり変わっているとは思われない細い、ベスパならなんとかいけても、クルマではチンクエッタでも通りえない道をたどって、夜の12時ころ、月の光を頼りに散歩してゆくと、教会のドアがなぜだか、ほんの少し開いていて、しかも、ぽおっと、微かな光がもれでている。
ドアを開けてはいってみると、正面には十字架に磔(はりつけ)になったイエス・キリストの代わりに、絶命して横たわった神の子に両腕を広げて覆い被さって、嘆き悲しむ聖母マリアの巨大な像がある。
路地と路地がぶつかるところには、民家の、朝であれば菜園に水をやっているところに行き会って、ボンジョルノ、今日は良い天気ですね、でも午後から暑くなりそうだ、と短い言葉を交わす、気の優しい主婦がいる家の壁いっぱいに、キリストの絵が描かれている。
あるいは、日本の水田にそっくりな、ベネトの、じーちゃんがママチャリでぎっこら漕いで立ち去ってゆく、なんだか佐久みたいなあぜ道にクルマを駐めて、なんでこんなに青空がおおきくて、なにもかもやさしい美しさなのだろう、とぼんやり考えながら歩いていると、マリア様のいる小さな祠があって、老いた女のひとが、なにごとかを一心に祈っている。
宗教的社会は通常特有のケーハクに陥りやすいのに、イタリア、メキシコ、スペインは、ケーハクに浮き出てゆくどころか、まるで息をつめて沈潜するように、深く深く、密度が高い「静かさ」のなかに沈んでゆく。
能楽が好きなひとは皆しっているように、あの能舞台のある空間で「音が沈む」という不思議な体験をするが、イタリアでは、文明全体が濃密な沈黙のようなもののなかへ沈んでゆく。
イタリア人は多分「イタリア」と言われても、話がおおきすぎてピンとこないので、ピエモンテとかPugliaとか、どんなに頑張っても、その程度のおおきさしか「ひとまとまり」として感じないように見えるが、外国人から見ればイタリアはイタリアで、あの長靴は共和制ローマ人が脱ぎ捨てていった文明そのものの履き物で、なんだか間投詞と間投詞のあいだにさえ文明がぎっしり詰まっているのがイタリアなのであるという気がする。
だから、死ぬのはやっぱりイタリアがいいが、両親のチェルノビオの山荘で死ぬ、というようなのは、いかにも卯建(うだつ)があがらない息子然として嫌なので、家を買うかなあー、でもまだ高いよなー、EUエコノミーは大丈夫メルケルが頑張っているあいだは、なんだかつぶれそうもないが、主だったヴィッラの半分くらいを買い占めているロシア人は、プーチンの国権主義的強欲が災いして、おおごけにこけそうです。
悪魔がでるせいで毎夜の食事の前に悪魔祓いの儀式が必要なレストランのある小さな島や、ムッソリーニが殺された現場に、低い、黒い十字架がある湖畔もいいが、もっとずっと南で、マフィアが支配する田舎に住んで、もう文明も公正も、自分にはどうでもよくなったとつぶやきながら、どんどんぼけて死ぬのがいいかもしれない。
人間の一生みたいに中途半端な長さのものを真剣に考えても致し方がないであろう、と納得しながら死ぬのは流線形でかっこいい死に方であると思われる。
オークランドはもう夏で、夏の太陽が照って、芝生はよみがえって、人間には手が届かない光化学反応が散乱する緑の宝石箱のようなニュージーランドの庭で、ずっと死のことを考えていると、もう少し手をのばせば「生きる」ということの意味に届きそうな錯覚がわいてくるが、
どうせまだダメで、もう50年というようなバカバカしい長さを生きて、
死ぬ瞬間か、死後の瞬間に、ちょうどブッダがミルク粥に宇宙の影が射す野見たようにして、(もちろんブッダの普遍に及ぶわけはなくて自分ひとりのことにすぎないが0やっと時間性を失って同時いっせいに甦った言語のなかで、視界の片隅を通り過ぎる影をみるようにして、「生きる」ということを理解するのかもしれません。
光を見つめて盲いたひとにしか見えないものがある、という。
まだ太陽を見つめる勇気はないので、小さな太陽のようでなくもない、モニさんや、小さい人たちを見つめて、鏡に自分の姿がちゃんと映るように、慣れてゆくしかないのでしょう。


オイラはイタリア車が大好きで、特にアルファロメオとアバルトには目がない。
もお長いこと「休館中」で、最後に行けたのは20年近く前だと思うが
世界にも稀な、オイラの「天国」と呼んで間違いない自動車博物館が、山中湖の側にある。
90年代初めに通い詰め、当然メンバーシップにも登録してあるのだ。
その名を「ムゼオ アバルト」という。
CLUB イタリアって言う、超高名な自動車クラブがあるのだが、そのメンバーに2人だけ外国人がいる。
そのひとりがここのオーナーの小坂さんである。
なにしろ建物の設計は、かのジョルジェット・ジウジアーロだわ、常設車両(当時の)にフェラーリミトスがあったりする。
目玉は数多くあるのだが、今回どうしても書きたいのが『アルファロメオ ティーポ33 ストラダーレ2』である。
元々生産台数が極めて少ない上に、丸型4灯のコイツは、アルファ本社アレーゼの車両の他に所在を知らない。
アレーゼのマシンのエンブレムは、レーシングマシンのTT12の薄っぺらいのが付いてるが、ココのヤツはオリジナルだ。
このマシンを、小坂さんはシシリーのマフィアの親分の納屋から救いだしたのだ。
だいぶ通い詰めて、口説き落としたんだと。
イタリア映画に使われたとかで、その時乗ってた女優の大ファンだったらしい、親分。
日本に持ち帰って完璧なレストアを行ったそうで、当時のレーシングオイル(この車のエンジンは純レース用)は、カストロールのオリーブオイルなんだそうで、当然使い物にならず「全バラ、再構築」せねば、火を入れられなかったそうだ。
当時の籠坂峠、初夏の早朝には
このマシンを初め、夢のような宝物達が、疾走していたらしい。 当然、ナンバーなんぞ付いておらん。
フィアットアバルトOT2000「モストラ」の、奇跡の様な物語も、この博物館から。
イタリアはもう20年前に弾丸ツアーで北から南まで行ったのね。
どこ行っても帰りたい場所だったです。
この旅行は心が飛翔する大切な時間になりました。フランスやイギリス、ウィーンも良かったけど、ブダペストも良かったですね。
ある古い教会が包まれるような所でした。ハンガリーが目を覚まして、良い方向に向かったのは嬉しいニュースでした。