【Archive】続ビンボ講座16 ビンボはどこから来たのか?
28/4/2021
なぜ自分はこうもビンボなのか。
ビンボはどこから来るのか。
眠れないまま明け方になったベッドのなかで、きみは考えている。
なにもムダなことしてないんだけなあ。
なんにも悪いことしてないぞ。
特に自慢できることもしなかったけど。
60年代のアメリカは、工場で働く工員と会社の社長の年収の差が小さかった。
数字は相変わらずのことで忘れてしまったが、最大20倍、だったかな?
なんだかそんなふうで、いまみたいに、500倍、600倍は、あったりまえで、えっ? たった$8MでCEOやるんすか?勘弁して下さいよ。HBSの同期に笑われてしまいます。無理ですよ、無理。
というのとは全く異なる世界です。
そのうえに土地の値上がりというものが殆どなかった。
アメリカの住宅コストが高騰しはじめるのは、1997年のクリントン政権期で、加速がついて、ぐぐぐっと高騰するのは、ジョージ・ブッシュの頃まで待たなければならない。
ダブルインカムである必要もなくて、アメリカの人というのは、田舎に住んでみればわかるが、ぶっくらこいてしまうくらい保守的で、あんなに広大でチャンスに溢れた大陸の印象なのに、現実は21世紀のいまでも、スウェーデンならスウェーデンの移民たちが定着した、カンザスの小さな町で、祖父母は英語を話さずにスウェーデン語だけを話していた、というような小さな町に生まれて、その町からでないまま、おなじ町の少年と恋におちて、町の外れに家を買って、子供ができて、…というひとびとがいまも大半だが、当時は、夫が工場でマジメに働いてくれさえいれば、10年ローンで庭のある一戸建てを買えて、でっかい、寝室でいちゃいちゃもんもんするのに飽きたらクルマのバックシートいちゃもんでいつでも気分を変えられるクルマを買えて、当時、次から次に発売される、電気掃除機、電気冷蔵庫、ステレオ、乾燥機、手当たりしだいに買って、楽しい暮らしをすごすことが出来た。
いまでも語り草の「アメリカの黄金時代」、50年代から60年代にかけての世界を圧倒する「アメリカの冨」の正体は、実は「冨の平等」だった。
このアメリカの冨の分配の平等によって起きた繁栄を、ごく短いあいだ実現した国が極東にもあって、それが、アメリカで「アメリカの幸福」を破壊した主犯とみなされている日本で、デトロイトでは自動車会社の工員たちから職を奪って、日本人と間違えられた中国系人がバットで殴り殺されたりしていたころ、日本は冨の分配からいうと「アメリカ型」とでもいうべき社会を建設しつつあった。
わしガキのころに見たドキュメンタリで、ひとつ、忘れられないものがあって、いま考えて見るとBBC?のプロデューサーには、かつての黄金時代のアメリカが念頭にあったはずだが、舞台は三菱自動車で、工員たちの明るい表情が紹介されて、社長が三菱の「軽」で通勤される姿が映し出されて、記憶が間違っていなければ、というか、いくらなんでも金額が低すぎるので間違っているに違いないが、この社長の年収は本人の希望によって、なんと、この年は、たったの500万円で、金額は記憶が編集改変されているにしても、テレビを観ていたおとなたちから、おおおおおー、という声がもれたのをおぼえている。
あるいは、また別の当時の日本の冨の分配の公正さの象徴はホンダ自動車で、連合王国の自動車業界の人で、ローバーを買収してやってきたホンダの総帥、本田宗一郎が、平間でランチをとる一般社員達よりも、一段たかいステージに陣取って、社員達の粗末な献立とは、まるで異なった豪華なランチの席に呼ばれて、「あれは、なんだ?」とホンダUKの社員に尋ねて、どういうことかを知ると、得意のむかっ腹を立てて、すたすたすたと社員たちのコミューナルテーブルに赴いて、どっかと座って、人間の食べ物かどうかすれすれの味の昼食を食べて、秘書にひとこと、ステージを指でさして、怒りで涙ぐんだ目で、「あんなことは明日からやめさせろ」と述べた挿話を、知らない人はいないのではないか。
一方では旧態依然といってもよいフリンジベネフィットや、ベネフィットですらない、役員駐車場にマイカーでやってきて駐車して通勤する権利、というような名誉特権をうるために血道をあげた日産のような伝統的な会社があって、大学の教師は、バイト教師の「非常勤講師」でもなければテニュアで、会社の社員ならば終身雇用があたりまえで、その安定社会は、日本社会の内側からみれば停滞社会としか見えなかったが、外国のひとびとから見れば羨望の社会で、一般に、日本経済の底の知れない強さは、そこに由縁すると信じられていた。
そこまではわかりやすいが、そこからあとが判りにくいのは、小泉政権のころになると、なぜか日本は、その安定社会を弊履のごとく極く気楽な調子で捨ててしまいます。
2000年期初期の頃のことで、1990年からの10年の停滞は、安定雇用で、社員の生産性が低いからだ、ということになったらしい。
わし自身も英語世界では「失われた10年」は、終身雇用に象徴されるスタティックな社会の構造のせいであると散々きかされて、小泉純一郎が首相になったときには、英語メディアもいっせいに祝福して、やれやれ、これで日本もまた復活するだろう、と世界中の人が胸をなでおろした。
なぜ日本の問題について世界の人が胸をなでおろしたかというと、当時は日本の経済力は世界の経済と密接に関係があって、しかも巨大で、日本が破滅したり沈降すれば、他の世界もただではすまなかったからです。
当時の日本は、いまの日本のように、ひとり負けで沈没してしまっても、なんとか他の国が対処できる国ではなかった。
そこで、ひどく失礼な言い方にはなるが、率直に言って、あんまり人間に見えない、妖怪じみたヘンテコリンな外貌の政治家に代わって、ちゃんと人間に見える外貌とあいまって、小泉純一郎は、世界に歓迎される首相として日本を率いることになったのでした。
ところが、日本だけでなく、世界の国々も日本社会の真の問題、産業革命の数十倍の影響を世界に与えることになるIT情報革命に参加する諸条件がまったく存在しなかった、という問題に気が付いていなかった。
しかも日本の人は国民病と言えるほど英語がわからない国民で、受験英語で日本語に意味がとれて文法をのみこんだ層が、奇妙な特権意識をふりまわして、あろうことか英語圏でキャリアをつんだ外交官が、いったいどういうつもりなのか、ほんとうにわかっていなかったのか、日本の首相の靖国神社参拝にあたって出したアメリカ大使館の声明にあるdisappointedという単語は、大した意味は無くて、ごく軽い失望をあらわしているだけなのに日本人は大騒ぎしすぎる、と述べたりして、ある種の日本の人の愚かで醜悪な病である「ぼくだけが英語わかるんだもん」をふりまわして、最悪の状況ができあがっていって、しかもそのうえに、それまでも日本人相手に鬼面人を驚かす、「あんたたちの英語はおかしい」で稼いでいた、悪のりしたアメリカ人「教師」が「英語ではHow are you?とは言わない」というご託宣を垂れた本で、なんと100万部を売り上げる、という世にも珍妙な「英語が特権である世界」のなかで途方にくれているばかりで、シンガポールに代表される他のアジア諸国のように、英語世界の進歩を同時的に取り入れて、「共に」新しい動的な世界をつくる、ということが出来なかった。
いわば世界に参加できなくなってしまった。
さらにそのうえに、他国がそうしている、という明白な嘘を述べて名前だけはたしかに欧州にもある「派遣会社」を始めた悪知恵の持ち主がいて、ひどければ依頼会社が払う8割もふところにいれてしまう、というようなビジネスを始めて、肝腎のIT業界を中心に、低賃金化と、伝統会社のIT音痴を食い物にして、パイソンならパイソンという言語に対して員数を揃える、ダメな部品、使いものにならないプログラマーやコーダーは交換修理する、いざプロジェクトが壊滅しかけた場合には精鋭部隊をくりだして、なんとか事業計画期間内にプロジェクトを実現させる、というような、日本社会のIT情報革命への対応のダメダメさをだしにして、まるで社会の生き血を吸い上げるように可能性を吸い上げて、自分はまるまると肥え太る、極めて反社会的なビジネスモデルをつくっていきます。
その結果、日本は、世界に稀な低賃金国家になってゆく。
そこに、更に更に悪いことに、低金利からゼロ金利へ、いま諸外国がCOVIDパンデミックによる緊急事態への対応としておこなっている通貨量の増大を、たいして効果がない段階で、始めて、初めこそ「経済基盤を破壊する金融政策なのは承知しているが、2年間だけに限れば問題ない」と、もっともらしく説明を述べていたのが、いまでは10年をすぎても常態化していて、
むかしから日本を眺めてきた人間には、大西瀧治郎が一回だけの非常の奇策として編み出した自殺攻撃であるカミカゼが、軽空母を一定期間使用できなくするという目的を見事にはたすと、効果がないのがわかりきっている主要艦艇を攻撃を目標にして、役所仕事の、ルーティンワーク化した、疑似ボランティア、その実は情緒的な同調圧力による強制で、毎日のように機械的にハンコを捺して、若者を殺し続けた、戦争中の日本軍部を、そっくりおもいださせる不感症ぶりをみせて、なんの効果のあてもなく、ただ「やめると即座に日本が破滅する」という理由だけで、過剰どころではない通貨量を市場に注ぎ込み続けて、その病んだ政策が症状になってばれてしまわないように、政府が株を買い占め続けるという前代未聞の愚かな政策に出て、到頭、日本の主要産業は「株価」だと揶揄されるまでになってしまった。
なぜ自分はこうもビンボなのか。
ビンボはどこから来るのか。
眠れないまま明け方になったベッドのなかで、きみは考えている。
なにもムダなことしてないんだけなあ。
なんにも悪いことしてないぞ。
答えは簡単で、しかも社会の側からは陰に陽に、口にすることを固く禁じられている理由なんです。
なぐさめになるのかどうか。
きみのいまの困窮は、甘いことを言おうというのではなくて、極く写実的に述べて、きみのせいじゃないんだよ。
きみには、なんの責任もないんです。
インチキにインチキ、ウソにウソを重ねて、そこまでは国に蓄積した体力があったのをいいことに、屋上屋を重ねて、ついに体力を完全に使い果たしつつある国に、きみがタイミング悪くうまれてきてしまった、というだけのことなんです。
では、なにが出来るか、こういう最悪の事態に立ち至った場合、歴史上のひとびとは、どう対処してきたか、あるいは対処できなくて国を失ったか、それはまた別の話で、
ビンボ講座が終わったので、今度は、そちらの話に移ろうとおもっているところです。
がんばって!
では、いくらなんでも酷だが、あきらめないで。
きみが諦めないで、まだそこに立っていることで、救われるひとたちがたくさんいることを忘れないでね。
また、きっと、会えるから。
そのときまで。


さあ、ビンボ友よ!まずは、
「インチキにインチキ、ウソにウソを重ねて、そこまでは国に蓄積した体力があったのをいいことに、屋上屋を重ねて、ついに体力を完全に使い果たしつつある国に、きみがタイミング悪くうまれてきてしまった、というだけのことなんです。」
というガメさんの言葉に救われて下さい!
「いわば世界に参加できなくなってしまった」
これを切実に、毎週のように感じています。