野党化と、その後の安倍政権を通じて変質したが、もともと自民党という政党は、イデオロギーによって纏まっているというよりも、実体はマネーバッグで、公認でオカネがかかる、アメリカの大統領選と並んで世界一といいたくなるくらいカネ喰い虫の日本の選挙を議員たちが生き延びるための共済組合じみた政党だった。
そこに「選挙に強い」というのは即ちポピュリスト的な人心収攬と集金に長けた安倍晋三があらわれて、自民党は、高市早苗に代表される
「党として鮮明な思想」をもった政党に生まれ変わっていきます。
判りやすくいえば、岸田文雄が、長年の腐敗のせいで見る影もなくなった旧自民党を象徴していて、一方、集金の無理がたたって殺された安部晋三が新自民党の象徴だ、と言えばいいのかな。
ついでに言えば、なんだかたたき上げの苦労人扱いされているが、実際には、「ええとこのボンボン」で、いかにも日本的なオカネモチの考えが甘い息子の良い所と悪い所を併せ持つ石破茂は、旧自民党傍流、という立場だろうか。自民党という政党のかつての特徴だった、常に存在する「自民党非主流派」の2025年における姿、というようなところが、現在の石破茂が立っている位置でしょう。
なにしろオカネを集めまくらなければならないので、自民党のような集金政党は、必然的に腐敗する。
長い間、集金装置を動かしてきた結果としての政党内部は、利権分配装置としてもボロボロで、第一、党内の人心が荒廃して、下品に下品が重なって、どうにもこうにも利権の沼にはまり込んで動けなくなるところまで来てしまっている。
さて、
戦後フランスの排外主義は現在のフランス排外主義の大立て者マリーヌ・ル・ペンの父親ジャン=マリー・ル・ペンを嚆矢とする。
ジャン=マリーは、もともとアルジェリア独立運動反対で政治的キャリアを始めた人です。
どの国でも、なぜか排外政党は、リーグ、フロント、ファーストが語彙として好きだが、とーちゃんル・ペンもご多分に洩れず、自分がつくった極右政党をフロント・ナショナルと名付けている。
この人は実はパリ大学を出た外人部隊士官で、あの世代の人なので、当然、アルジェリア戦争に従軍しています。
そこで「あんなものにフランスに来られたらたまらん」と考えたのが、多分、極右政治活動に奔った原因でしょう。
文字情報やテレビなどのドキュメンタリーで「欧州の難民」を観て、様々な感想を持った日本の人が、フランスに来ると、例えばもうシャンゼリゼをぞろぞろ歩いて、戦略会議のミーティングまで通りで堂々と行っている中東・北アフリカ人のスリ集団や、マルセイユの美しい公園いっぱいに広がって、段ボールや青プラスティックの仮とも言えないような「住居」に屯して、盗み以外には生活の手段を持たされないアフリカ難民を観て、いっぺんに排外主義の「理解者」になってしまう。
創造的能力に恵まれた文化の担い手は、たいていの場合、寛容主義で、「いろいろあったほうがいいのよ」な人が多いが、そうやって生まれた高い文化を享受するほうは、非寛容で排外主義的傾向が元々あるのが普通で、そこが文化の面白い所だが、
元来が、文化程度が高く、自分たちが築き挙げてきた文化に対する誇りが高いぶんだけ、フランス人たちは、「こんなにアフリカの野蛮人や、自己主張が強い中東人が増えて、やってられるか!」で、移民・不法移民・難民の数が増えるにつれて、キレ始めて、ついに最近の排外主義の大波を見るに至った。
ジャン=マリー・ル・ペンのFront Nationalは、印象から言って、フランス版ナチ突撃隊みたいなものだったので、当然、リベラルと言わず、およそ通常の社会生活が営める程度には常識があったひとびとには、めちゃめちゃ評判が悪いゴロツキ集団的な扱いで、社会的位置でいえば、日本の「在特会」くらいだろうか。
いや、在特会ってのは、もうちょっと広く支持されているのかな。
ジャン=マリーの娘マリーヌ・ル・ペン(Marine Le Pen)は、とーちゃんより遙かに賢くて、父親に比べて情念が薄いだけポピュリズム政党として成功するための条件を計算する能力に恵まれていて、政党名もちゃんと、フロント・ナショナルから国民連合(Rassemblement National)に変えている。
そーゆーマイルドで煮え切らない態度でいいのか、と怒る国士とーちゃんとの対立は、マリーヌが政党の「脱悪魔化(ディアブリゼーション)」を進めるなかで起きたホロコーストを「歴史の細部」un détail de l’histoireと呼んだとーちゃん発言を巡って頂点に達して、とーちゃんは事実上、おんだされてしまう。
父・信虎を追放した武田信玄か、あんたは。
マリーヌの大衆政党化路線が功を奏して、相変わらず極右政党の性格は保ったまま、マリーヌ自身2012年大統領選挙では得票率18%で3位、
2022年の決選投票では41.5%の得票で惜敗して、フランス人待望の極右大統領誕生まで、あと一歩というところに来ている。
駆け足で行く。
マリーヌ・ル・ペン(Marine Le Pen)に先駆けて政権を奪取した極右政治家ジョルジャ・メローニ(Giorgia Meloni)のイタリアの排外政党は、1991年結党のLega Nordを淵源とする。
出ました、リーグ(Lega)!NFのフロントで、あとファーストが出れば極右排外主義大三元、
なんちて。
初めの頃は、なあんとなく、極右ちゃうぞ、排外政党ちゃうぞ、のスタイルで、なあんとなくなあんとなく、判る人には判る極右だったが、
2018年に党名からNordが取れたあたりから、かなり露骨な排外主義政党としての相貌を見せ始める
イタリアの排外主義そのものは、ムッソリーニ以来のいわゆる「ローマ主義」と密接に結びついていて、
1946年結成のファシスト党MSI(イタリア社会運動:Movimento Sociale Italiano)から始まって、アレアナ・ナツィオーレ、いったんはベルルスコーニのPdLと合流したものの排外主義・ローマ主義のアイデンティティが無くなることを恐れて2012年FdI、Fratelli d’Italia(イタリアの同胞)の現在に至っている
プーチンの操り人形という噂が絶えないドイツのAfDは、アルプス以北欧州の排外主義思想を煮詰めたような主張で、これはこれで判りやすいが、
日本の人は戦前来た道をまた歩いていて、イギリス・アメリカからドイツへ、耳を澄ます向き先が変わって、もっかは「ドイツの人の言うこと」を聞き取るのに懸命なところなので、わしなどより日本の人のほうが、遙かに詳しそうです。
スペインとイギリスは、また別稿で説明することになっているのは、イタリア・フランス・ハンガリーとは、様相がおおきく異なるからで、排外主義は更に拡大するに決まっているので、また今度説明すっかんね、ということにした。
決して欧州排外主義について説明するのに飽きてきたからではありません。
弁財天のかっこいいおへそに誓って嘘ではありません。
駆け足というのも、駆け足くんに申し訳ないような杜撰なスピードでフランスとイタリアの排外主義について説明したが、日本の急速な排外主義の伸長について新聞などにはよく「排外主義の世界的傾向の影響を受けて」というような説明がなされているが、例えば日本より遙かに「世界規模スタンダード」で、どこのイオンモールも似たりよったりの排外イオン欧州支店みたいな面を持つ欧州の排外主義と較べて、日式排外主義は「なんか世界の排外主義とは別ものなんじゃない?」と疑わせる、においがクンクンされる。
まず第一に日本の排外主義には宗教という対立軸が存在しない。
欧州の排外主義はキリスト教対イスラムの対立軸が鮮明で、難民の身の始末が悪いこと、見た目に気味悪さを感じること、排外主義側のすべてが、そこに還元されてくる。
フェミニストは当然他の差異についても寛容であろうとするが、イスラム側に「そうではない。ムスリムは男女平等の宗教です」と言われて当初は、そーなのか、と信じていたが、あんまりここに書きたくない事例がネットレベルではなく現実社会の事例として頻発するに及んで、ついに、葛藤の末に、はっきりとムスリムに反対する側に立つことになった。
わし友の女びとたちは、日本の基準でいえば、とんでもない過激フェミニストということになるとおもうが、イスラムについては「自分にはちゃんと判らない世界だからなにも言わない」というスタンスでいるように見える。
ただし、行動を観ると、欧州とオーストラリアNZと行き来して暮らす時期が多いが、欧州へのストップオーバーとして最も便利なドバイやカタールを使う人が、当初と比べて、まったくいなくなって、最近はバカタレ・トランプのせいでLAも嫌で、居酒屋カルチャで、きゃっきゃっできる東京経由は楽しいが、ロシアのミサイルに打ち落とされるのは怖いし、避ければ燃料サーチャージで、結局、シンガポール経由で行くことになっている。
ドバイですら、ビーチでセックスしていてつかまったUKカップルは論外だが、手をつないで歩いて逮捕されたNZカップルがいたりして、あながち考えすぎとも言えないようです。
というか、それ以前に、こういうテキトー忖度をすると怒るだろうが、男女平等について、ムスリムに対する口にはされない強い嫌悪があるように見受けられる。
次に欧州の差別禁止は法的なもので、ドイツのEntnazifizierung (脱ナチ化)の一環として法の面で整備されたGrundgesetzで判るとおり、例えば
ナチ思想は「表現の自由の範囲外」と明瞭に法が規定している。
ドイツにも、これも表現の自由、あれも表現の自由で、
言いたい放題描きたい放題のタワケがたくさんいるからです。
かなり厳格に適用されてもいて、むかしの週刊誌を見ると、スクープみたいな扱いで、渋谷大盛堂書店の地下にあった、ナチグッズを販売する店を聖地巡礼してスワスティカグッズを買っていくドイツ人たちの数の多さがニューズになったりしている。
ドイツでやると、豚箱に放り込まれてしまいますからね。
ばれない日本まで、当時は50万円がとこ、したはずの高い航空券を買ってやってきていた。
そして、最後、これが実は本題で、遙けくも来たるものかな、いつものことだが、本題にたどり着くまでに、ちかれたび。
メローニは首相で、マリーヌ・ル・ペンは大統領目前、排外主義大魔王のオルバンも与党Fideszを率いる首相で、いわば国がらみ排外主義で、ただし強烈なカウンター勢力である若い世代と対峙していて、寛容と非寛容の対立の緊張のなかで社会の物事が推移している。
日本のように若い世代を中心としたネットで培養された「草の根排外主義」とは、ちょうど反対の構図になっている。
日本のネット大衆民主主義の達成点が、いまの激しさを急速に増す排外主義で、日本にいたときのわしのように、オーバカナルの外テーブルで、ぼけーとシャンパンを飲んでると石をぶつけられそうな勢いだが、日本国民の総意が「外国人出て行け」なのだと当の「外国」が悟るのは、AI翻訳で、あっというまに崩れた言語の壁から、わらわらと姿をあらわしたSNSでの英語ポストの数の多さを観ても、そんなに先のこととはおもわれません。
総意なんかじゃありませんっ!という声が聞こえそうだが、外国人排斥反対の人の声の方は、自分が英語しか読まない人間のつもりになって日本語SNSを眺めると、ちっとも聞こえてこないので、「言われないことは考えられてもいない」法則によって、頭のなかの言い訳として以外、存在しないものだと判定される。
十年もすると外国人は誰も日本には行かなくなって、めでたしめでたしになりそうな雲行きです。
こういう不思議な、外国人にとっては、やや難解な状況が生まれたのは、正に政権党である自民党が腐敗して、利権でグズグズで、ぶちゃむくれで、容易に身動きならない救いがたさだからで、安全保障についての発言が原因で超タカ派の印象を持たれていた石破茂といえど、岸田文雄とおなじ伝統自民党政治家で、誠に遺憾に思います、調整します、粛々とやります、丁寧にやります、で、結局、いつまでたってもなんにもやらない、「なにもしないためならなんでもする」日本型組織の典型と化していて、これを極右排外主義に燃える「ネット民主主義」を信奉する日本の若者たちから観れば、
自分たちが突破口を開けて、晴れてガイジンどもを日本からたたき出す鬼畜米英・支那膺懲の輝かしい未来への脱出口に、巨大な腐れ大福がドベッと座して出口を塞いでいるに等しい。
選挙によって自民党が再び野党にくだってもらえないと、扶日滅洋の明るい鬱憤晴らしの破壊が出来なくて困るのです。
もうすぐ参院選挙だそうで、だいたい参院選の結果は、むかしから直前の都議選を見ればわかるというが、都議選は自民ボロ負けなので、自民党の落日が始まるのかも知れない。
MMTのれいわ新選組や尖閣諸島国有化で未来の中国との交戦を確実にした外交センス抜群の野田佳彦の立憲民主党、他人の不倫には滅法厳しかったグラドルラブラブはめはめ党首に率いられた国民民主党、維新、NHK党、多彩な明るい未来に彩られた「自民後の政界」で、その先で、最も台頭するのは、いまは適正な形が与えられていない「排外新党」でしょう。
政治的センスがゼロに近い在特会/JFPや参政党では、これからやってくる「政権担当排外右翼」の主役を担うのは無理であるように思われる。
政治の撞球力学は常に面白いもので、現状は、「悪玉」腐れ大福自民党が日本の排外極右の過激化と伸張を防いでいる。
白村江の戦い以来、日本で最も一貫した「思想」は、攘夷と外国人排斥の伝統です。
自分たちの文化アイデンティティを文字通り生命を賭けて守り抜いたカタルーニャのひとびとと結果は似ていて、単一民族という思い込みや、かつてはその言語としての美しさにおいて世界の三本指に入ると数えられていた日本語、神田でも池袋でも、横丁をちょっと除けば、ただちに感得される、抱きしめたくなるような生活文化、下を向いて、なんだか一心不乱に絵を描いている、子供のような創造への憧れ、そうした自分の「内なる日本」を守るために、必死に、両腕をぶんぶん振り回すようにして外国人を排斥しようとする。
多分、止めようたって、止まらないでしょう。
上で他国の排外主義の例を挙げて説明したのを観れば判るが、特に北欧・中欧・ドイツにおいてネオナチへの暴走の危険を孕んでいるが、逆に、主に経済上の理由から、「やっぱ排外主義あかんやん」になった場合、移民や難民を追い出した後に、キリスト教という安定錘が戻って、再び、寛容主義に戻る確率は高い。
え?
いまどきキリスト教ですか?
げげげ、とおもうきみの気持ちは判るが、
メローニが、ああいう「おもしろい、いい人」スタイルを採用して、マイルドっぽく振る舞うよう心がけている最大の理由は、カトリック教会であることを忘れてはいけません。
どんなに否定しようとしても、欧州語の体系がなくならない限り、キリスト教なしでは成立しない世界が欧州なのでもある。
日本が排外主義を達成したとして、その後、どこに行くか、というのは、これを読んでいる日本語人たちのほうが、よく判るはずです。
どうなるか。
うまく外国人労働者を全部追い出しちまえば、短期的には、日本人にとっては競争機会が減って、雇用機会が増える。
介護や建設、農業の分野では労働力不足に陥って、なかなか深刻なことになるでしょうが、ケーキを手元に残したまま、同時にそれを食べられはしない
You can’t have your cake and eat it too.
という。
ぜーたく言っちゃいけません。
痩せても枯れても江戸っ子でい、喰いもんぐれえのことでガタガタ言っちゃあ、困ります。
おいらはデカ目デカ胸ミニスカがあれば、三度の飯も一度で十分。
長期的には経済が沈降する原因になるのは当たり前だが、もういま50代の勤め人わたしにはあんまり関係がない。
若いもんに頑張ってもらうから大丈夫です。
政治は目先だ!と、かのドナルド・トランプ先生も言っておられる。
問題はひとつだけで、日本をいま陰ながら下支えしている「文化への評価」は、まあ、だんだんになくなりますね。
そうすると、ラーメンのほかに、後には何が残るんだ、という気がしなくもないが、そんなこといちいち気にしてたら外国人嫌いなんて、やってられない。
宗教という対立軸がない以上、日本の排外主義は、世界のなかでは孤児的な排外主義で、人間の世界とおなじことで、孤児だから不幸になるというものではないが、「世界的な排外主義の一環」と考えると、大間違いに間違えて、世界が正気に返った瞬間、日本だけが、ツツツツーと、あさっての方へブレーキもかからずに滑っていって、ポロンっと崖から落ちてしまいかねない。
そのときは、ゼノフォビック日本のために、世界が葬式も出してくれないことは、おぼえていたほうが良さそうです。
わしはヒアシンスの花束くらいは持って供えに行こうとおもってますけどね
それが何色のヒアシンスになるかは、これからの日本の人次第ということなのでしょう
正直にいうと、もう言葉が機能していないと思います。何を言っても真剣に取られない、相手は自分たちを批判したいだけ、揚げ足をとりたいだけだから、まともに取り合わなくてもいい、という雰囲気があります。
本当に今までいったい何を日本人はしてきたのだろう。お互い意思疎通がはかれていないのに、外国人は国に帰れ、在日特権を許すな、ネトウヨは馬鹿だ、連帯します、右も左もお互い言いたいことだけ言ってなんにも進んでないのに、なぜか達成感が漂っている。
だからもうどうにでもなれというのは無責任なので言いたくないけれども。
一億総発狂ですね。まあ言っている間に一億人も割り込んで、五千万人くらいになるかもしれないですが。
>政治の撞球力学は常に面白いもので、現状は、「悪玉」腐れ大福自民党が日本の排外極右の過激化と伸張を防いでいる。
残念ですが、そうだと思います。「神」ではないが「お金」に仕えてるから、極端な排外主義にはなれない。「武士は食わねど高楊枝」って、痩せ我慢が好きな国民なんでやりかねない。ほとんどの国民が武士じゃないんですけど。