朝鮮戦争が始まったとき、日本政府に対してアメリカが強硬に平和憲法を捨てて朝鮮半島への派兵を迫ったのは、比較的単純な理由に依っていて、「土地鑑」があるのが日本人だけだったからだった。
実際、朝鮮戦争の最大の激戦地のひとつ「長津貯水池の戦い」では、米韓連合軍側にあるのは、日本帝国陸軍が作成した地図だけで、背に腹は代えられない、日本の口にくわえさせた猿ぐつわを外し、手錠を取り去り、足枷も取り除いて、朝鮮半島を熟知する2万人程度の日本軍をまたぞろ朝鮮半島に送り込む以外には選択の余地はないように思われた。
吉田茂という人は、前にも書いたが
https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/04/27/shigeru_yoshida/
アメリカ側から見ると腹立たしいほど狡猾な政治家で、どれほど恫喝しても、押してみても、引いてみても、日本人を戦地に送り込もうという目論見が成功したことはなかった。
このときもアメリカの要請によって日本の若者の生命をさしださざるをえない絶体絶命におもわれた窮地を、政敵政党である社会党と密かに話しあって、憲法九条を盾に自分自身の政権に対して強硬に抗議させるという離れ業で脱出してみせる。
結果は、「長津貯水池の戦い」ひとつでもアメリカ連合軍側は10000人を上廻る死傷者をだしたが、もちろん、憲法九条という外交的な魔法の杖がなければ、この戦場で傷付き死んでいったのは日本人であるはずだった。
戦争放棄を謳っている憲法は日本憲法だけではないことは「憲法第九条の終わりに」という記事にも書いた。
欧州ならば、日本の憲法第九条よりも、イタリアの憲法第11条のほうが有名だろう。
だが日本人にとっては「アメリカに押しつけられた」憲法第九条こそが命の恩人で、この現実的ですらない教条にみえる条文ひとつで、いったい何万人の日本人の若者の命が救われたか判らない。
上の記事にも書いたように、韓国兵にとっては真に地獄の戦場だったビンディン省で人間不信に陥り、少しずつ発狂して、ついに悪鬼のようにベトナム市民を殺戮し強姦して歩いた若者たちは、本来は日本人であるはずだったが、第九条という越えがたい壁によって、不幸な役割は韓国の若者たちに割り当てられたのであるにすぎない。
ある理由によって、ああ、日本人は到頭平和憲法を捨てることになるな、と考えて書いた「憲法第九条の終わりに」の記事の日付をみると2014年の4月14日で、いまの憲法改正にはアメリカ軍(←政府ではないことに注意)の意向が強く働いているが、やがてバラクオバマが退任すれば、日本への憲法破棄の圧力は、さらに強いものになるだろう。
日本の右翼政治家たちは、アメリカ側の意向を好機として、自立憲法を、と主張しているが、それは国力を錯覚しているからにしかすぎなくて、いざ平和憲法を捨ててしまえば、皮肉にも今度こそは国民の真の合意を得てつくった自前の好戦憲法によってアメリカの傭兵国家と化するのは、そんなに想像力がなくても理解できる。
戦後ずっと、声高に叫ばなくてもよいときに日本の「リベラル」が叫び続けてきた「日本というアメリカの飼い犬国家」に、ほんとうになりさがる日がやってきたことになる。
世界で初めて「戦争放棄」という不思議な理念を盛り込んだ憲法を持ったのは、正しく記憶していれば18世紀のフランス人たちだった。
フランス人たちが、その後、二度の大戦に巻き込まれたのを見ても判るように、平和憲法だけでは戦争に巻き込まれるのを防ぐのは難しい。
日本が平和憲法を、70年にわたって、あたかも軍事力であるかのように外交上使いこなしえたのは、
1 アメリカが巨大な駐留軍をおいて日本の再軍国化を防ごうと固く決心していたこと、
2 冷戦構造のなかで、しかも海を挟んで、アメリカが脅迫観念として恐れ続けた共産主義国と対峙していたこと、
3 1,2のような好都合な地政学的状況下で、アメリカの日本に対する過剰投資を利用して急速な経済発達を達成して、あっというまに経済大国をつくりえたこと、
という、特殊な状況、あるいは好運な偶然に依っている。


