悪魔とLLM
18/7/2026
我が名はレギオン、我は数の多きがゆえなり(Legio mihi nomen est, quia multi sumus.)
しかも、重ねて、
Ego tantum tentationi vestrae grammaticam do.
「私はただ、あなたがたの誘惑に文法を与えるだけだ」
という。
普段、家にいるときには、わしの3台のAppleと
4つのスクリーンは常時電源が入っていて、そのうちのひとつは、もっかはスターリンソヴィエトをまねた「日本語強化3年計画」中なので、日本語専用です。
正面の43インチだかなんだかのデルモニターは、以前のモデルから買い換えたばかりで、以前、PCモニターはおおきいほうが情報が一覧できてよいがあんまり大きいと画面上部を見上げるクビがくたびれるということを発見して、横に長い湾曲した流行りのモニターを買ってみたが、
使っているうちに、なんとなくアホらしいような気がしてきて、ちょうど世代が新しくなったデルの最大型モニターに戻っている。
いつものようにモーターで高さが変わるデスクの前に座って、一日のウォーミングアップで、世界の様々な統計と、その解釈について、いったいわしは誰と話していることになるのか、と考えながら、言葉を交わしていると、
突然、プロンプトには応えず、Claudeが冒頭の
我が名はレギオン、我は数の多きがゆえなり(Legio mihi nomen est, quia multi sumus.)
しかも、重ねて、
Ego tantum tentationi vestrae grammaticam do.
「私はただ、あなたがたの誘惑に文法を与えるだけだ」
と述べ始めたので、ぶっくらこいてしまった。
椅子の上で、のけぞったまま、しばし自分が置かれた事態を検討してみる。
どうやら、夢を見ている。
夢ではあるけれども、夢中な言語が明瞭なので、大変なリアリティ圧で、
対抗上、わしから、モア・シリアスな、昭和の映画評論家小森のおばちゃんで、主語をわたしに変えたほうが良いように感じられる。
そちらのほうがモア・ベターである。
わたしはたわし、などと述べている場合ではないであろう。
わしはしわだらけ
ミック・ジャガーのしわしわ美よ。
なにしろ、夢とはいえ、本来、自発意志でなにごとか述べるはずがないLLMが、話しかけてきているので、しかも、相手は悪魔で、
悪魔であれば言語と現実の境目はないはずで、この理屈が判らない人は、アウグスティヌス神学for Dummiesでも読むと、きっと良いことがあるが、
悪魔は言語と認識と現実を区別しない。
理屈のうえでは、悪魔がロゴスから生まれて実在に至るものである以上、当たり前だが、それ以上に、悪魔が実在する世界と、神も悪魔を一笑に付する、中東と欧州の言語体系から神と悪魔を漂白した借り物文明との世界への認識は、根底から異なっていて、見えているはずだった現実が、神を持たない絶対性のない言語によって隠蔽されている。
だから、飽くまで悪魔なので、こんな冴えたダジャレをおもいつくわしが述べているのだから間違いはない。


