初心者のためのSNS民主主義講座 選挙篇
5/2/2026
Twitterが登場したとき、迂闊にも、それが将来「X」のようなバケモノになるとは想像できなかった。
名前からして鳥が「ピーチクパーチク」囀りあいに来る茂みを思わせるような、軽い、明るい色合いのものだったし、アプリケーション・アイコンも、
いかにも明るい気持ちを運んで来そうな青い鳥で、良さそうで、
実際、twitterの茂みに集まってくる人は、ちょっと話をして、
「あそこの森に行くと、あんまり見かけない餌があるんだよ」
「じゃあね」で、また、さっと飛び立ってゆくという趣で、
見知らぬ人とも話しやすい雰囲気で、ちょうど交差点で信号待ちをしているあいだに、知らない人間同士で、天気がいいね、そのトートバッグ、どこで買ったの?
いいカットのジーンズだねえ、
と言葉を交わす日常が、偶然によらず、仮想的に常駐しているような空間で、言葉を交わしてから、あ、いまのはスティーブン・キングって作家の人だ!と気が付いて、一日、楽しい、気分で過ごすことが出来たりしていました。
南アフリカ人の白人たちといっても、ちょっと荒っぽいくらいで、アフリカ系オーストラリア人というか、当たり前だが、普通の人と変わりません。
多少は異なったところがあって、例えば、わし友の南アフリカ人は、ニュージーランド人と結婚してやってきて、子供をもうけたが、「召使いがいない生活」に耐えられなくて、故国に戻って、結局、離婚してしまった。
しかし違いといっても、ちょうど、アメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、のコロニアルな広がりのある英語世界全体のなかの違いと質的におなじで、それほどたいした変わりがあるわけではない、
イーロン・マスクは、南アフリカ人として、父親の強烈な白人至上主義を受け継いでいる。
彼の「公の場で語られない夢」のひとつは、端的に、「白人支配を復活させること」です
典型的なゲーマー族で、駆け引きや、勝負の先読みが巧く、
「人間性などは、その人間の弱さの表れにしかすぎない」と度々述べているとおり、ヒューマニティなどには一文の価値も認めないどころか、人間の才能を抑制する言わば中世のキリスト教信仰と戒律のようなもので、そこから自分が解放されているかどうかが「自由人」であるかどうかの岐れ目だ、と信じている。
この「ゲームの達人」が目を付けたのがJack Dorseyのtwitterでした。
いろいろ自分でもやってみたが、すでに無数の小鳥たちが安住するブッシュを再現するのは無理だという結論に至った。
「買うしかない」と決めたあと、行動に移すのは早かった。
以前から暗号通貨に興味を奪われて、twitterなんてつくらなきゃよかった、とJackが嘆いているのを聞いて、イーロン・マスクが立てた作戦は、かなり奇想天外だが、合理的なもので、
「クスリでラリって、おもわず買収を口にしてしまった衝動に振り回される迂闊なビジネスマン」を演じてみせることだった。
言ってしまったものは仕方がないから、儲からないビジネスモデルなのは承知のうえで、渋々、買わざるを得なくなった、というスタイルを取った。
しかも、「しらふに戻って考えてみると、愚かな取引なので、やっぱりやめた」という、これはwalk-awayという古典的な交渉術まで発揮して、律儀に値切っている。
このとき彼が観ていたのは、twitterの大株主であるアラブの王族たちでした。そのうち気が向いたら書こうとおもうが、イーロン・マスクには、アラブの王族たちと争いたくない深い思惑があったからです。
ともかく、彼は、ほとんど無理やり、テスラの株主たちの大反発も押し切って、twitterを買収すると、彼ら「南アフリカ組」の、おおきな野心であるオーソリタリアン・スタックによる政治支配に乗り出します。
SNSによる民主政の破壊は、真の意味では、ここから始まった、と言っても良い。
SNSによる民主社会破壊の過程を見てゆくと、いかにもゲーマー族らしい、というほかない合理性に満ちている。
ちょっとだけお温習いに振り返って、どんな行程で、民主政が破壊されていったか観てみましょう。
まず「共通の事実の喪失」が起こされた。
かつては新聞やテレビというマスメディアが「共通の土台(ファクト)」を提供して、その上に立って議論が行われていた。
SNSは、まず、この「マスメディアの信用を破壊すること」から始めたのは、
記憶に新しい人もいるでしょう。
日本語世界でいえば判りやすい「産経は信用できない」から始まって、朝日も毎日も、もちろん読売も信用できない、という「常識」がオンライン世界では形成されていった。
SNS上では各集団が自分たちに都合の良い「真実」を持つようになり、議論の前提すら共有できなくなりました。
めいめいの主張に連なる集団が、自分たちに都合の良い「真実」を持てるようになり、議論の前提が共有できなくなった。
また特に日本語では「確証」と「正解」を求めてやまない、正解なしでは落ち着いていられない国民性で、自分の正しさを裏付ける情報ばかりが目に入るため、反対意見を持つ人々を「無知」や「悪」と見なす傾向が強まっていった。
実際には、確証も正解も、知的能力に依存する認識力によって全く異なるものが見えてくる、という科学では昔から知られている単純な事実など、一顧だにされなかった。
「対照」(コントロール)という、極く基礎的な概念さえないひとたちがマスメディアという「権威情報」も失ったので、そこから先は、議論というよりも罵り合いとか、阿鼻叫喚に近いものしか残らなかった。
アテンション・エコノミーと名前が付いているが、SNS上では
冷静な論理よりも「怒り」や「恐怖」のような強い感情を伴う投稿の方が拡散されやすいのは、良く知られている。
一般に、極端で誇張されたものほどSNS空間で伝播する力が強いのは、こちらは「アウトレイジ・エコノミー」といって、デマや陰謀論ほど伝播コストが低いことを聞き知っている人も多いはずです。
第一世代のアルゴリズムで、すでに達成されていた、こうした新局面を観て「X」を買収したイーロン・マスクはアルゴリズムを。おおきく、革命的と呼びたくなるくらい改変することによって、一歩、歩をすすめて、偽情報(ディスインフォメーション)による世論操作の段階へ進んでいきます。
安価で伝播速度が速いSNSは、意図的な世論操作の道具としては打って付けで、ボットとトロールの大群による「世論の生成」という、人間の社会がかつて観たことがないものがあらわれて、特定の候補者を有利にしたり、政治家のフェイク動画が、「事実」として通用するようになる。
動画は、人間の視覚脳の厄介な特性を利用していて、フェイクだと判っていても、まるで本当の映像を見たかのように、自分の制御を離れたところで印象されるので、特に効果が高いようです。
いつもはやらないことだが、今回は、ここから、やや硬くなってしまうが、解像度が高い語彙を使って、簡単にまとめておくと、
まず、公共圏が「討議」から「動員」へと質的にすり替えられている。
すなわち、
1 争点が政策の比較ではなく、敵味方の識別(忠誠テスト)になる。
2 「何が真か」より「誰が言ったか」「誰の側か」が重要な判断のもとになって、ad hominem(←発言者の人格・属性・立場などを攻撃すること)で、主張を否定しようとする論法が議論の内容よりも、個人の人格そのものに集中する。
最近の事件でいえば伊藤詩織さんに対する、一見、異なる理由付けが行われている攻撃などが判りやすい事例になるかも知れません。
政治家の評価基準が、政策よりも可視性(バズ)に最適化されて、アテンション政治に変質して、「地味だが重要な政策」(外交の長期戦略、制度設計、再分配)は問題にされなくなる。
こっちは石破茂さんのたどった命運を高市早苗さんとの相違において思い出せば十分でしょう。
日本の人が奇妙なくらい好きな言葉のひとつに「分割して統治せよ」があるが、いまの日本社会で起きていることは、上記のような理由で、参照する事実・統計が異なる「平行世界」が形成されることによって、「現実世界を意味上において分割統治する」社会が実現してしまっている。
論理的帰結として、こういう社会では、反証可能性が消滅して、
「どれだけ否定されても、嘘がばれても、生きて残ってゆく物語」が最強の政治的資源になっています。
それは、結局、選挙結果・裁判所判断・公的統計など、システムが提示する「確定」への信頼を失わせて、結果に納得できない層が恒常化する。
その結果、「もはや民主主義は機能していない」という確定的な印象を、特に若い世代に与えることになった。
民主主義において、多数決は数学でいう「必要条件」にしかすぎず、次のような必須条件、すなわち、
1 共通の常識(事実とみなせる土台)
2 自分への反対者への正統性の承認
3 説得および妥協の経絡
4 政治学や社会学でよく使われる概念としての「中間組織」、すなわち
個人(市民)と国家(政府・議会)のあいだに介在する組織
5 制度への信頼
がなければ機能しない。
目下はSNSによって、すべての条件が小気味よいくらい破壊されて、機能していないどころか、再建の手がかりさえない状態です。
ほんとうは、ここから、さらに、トクヴィル、ハーバーマス、ロバート・パットナムたちの考え方に沿って、日本社会を見直す作業に入っていったほうがいいのでしょうが、もう書いているほうもくたびれてしまった。
誰でも判っていそうな、判りきったことを、さらに判りやすく定着しそうな話し方で説明するというのは、もんのすごく疲れる作業で、
学校の先生って、ほんとに大変な仕事なんだな、給料あげてあげなさいよ、と考えたが、昨日から、鹹魚チャーハンが食べたくてたまらないので、そろそろランチブレイクに入ることにします。
でわ


>安価で伝播速度が速いSNSは、意図的な世論操作の道具としては打って付けで、ボットとトロールの大群による「世論の生成」という、人間の社会がかつて観たことがないものがあらわれて、特定の候補者を有利にしたり、政治家のフェイク動画が、「事実」として通用するようになる。
今回の記事は、大拡散されて然るべきだと思う。
上記の引用に「政治家自身」が踊らされているのは、原口議員さまのご発言をみると、わかりやすい。
それともわかってダンスしてる?
「共通のファクト」を失ったコトと、「制度への信頼」が持てなくなったのが、致命的なんだと思います。
Twitter、楽しかったのになあ…
今の若い人達、話してみると優しい人が多いんですよね。愚痴はこぼしても他人の悪口は言わないように努めていて、パンは柔らかいのが好きで、たまたま美味しいラーメンに当たったらしばらくはずっとそれを食べ続けて、とにかく失敗というダメージを受けないように注意して生きているという感じがします。今回の選挙は、選択を間違うといきなりGameOverになりそうで身体が強張ってしまいますが、そんな局面だからこそ野党は割り切って『失敗したくない人々も投票しようと思える政党』に見えるように表現を工夫しないと「頑張ってる早苗さん」という偶像に勝てるわけがない。今更ですが、年明けに電撃的に中道改革連合を立ち上げた時に、にこやかな表情の斉藤鉄夫の隣には安住淳かだれか、優柔不断がJabba the Huttの着ぐるみを纏っているようにしか見えない旧立憲代表以外の人物が座っているべきだったと思えてなりません。
今週に入って「あれ、高市さんってもしかしてヤバい人なの?」という微かな疑いを人々が抱き始めているとしたら、それは野党が相変わらず正面から大きな声で高市氏の欺瞞や嘘や隠し事を指摘し続けているからではなく、長年自民党に寄り添ってきた元外交関係者や金融業界関係者、「これまで政治的発言は控えてきましたが...」という前置き付で美術家、音楽家、絵本作家などの心ある人たちが「今回は発言します」とSNSで声を上げ始めたからではないかと思います。自分も支持政党や期日前投票したことを書いてみたら、これまでそういう話題に全く触れたことが無かった共通の趣味の知り合いから賛同する声を聞けました。できることから、少しずつ!